佐伯先生のモデル?佐伯祐三先生について調べてみた。

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はじめに

記事をご覧いただきありがとうございます。

ブルーピリオド好きのTayです。

今回は佐伯先生のモデルになった?佐伯祐三先生について調べてみました。

Twitterで

佐伯祐三先生がモデル?(笑)

みたいなツイートがあったので、それを本気で信じてみます。

実際はどうなのかっていうのが今回の趣旨です。

本編

まずは佐伯先生について振り返りましょう。

佐伯先生と佐伯祐三先生は紛らわしいですね。

ブルーピリオドの方の佐伯先生について話します。

実は佐伯先生の本名は佐伯昌子と言います。

知らない人も多かったんじゃないでしょうか。

公式アニメサイトで確か確認できます。そこを見るまでは僕も知りませんでした。

ちなみに昌子の読み方は分かりません。

佐伯昌子先生は八虎の恩師ともいえる存在の一人ですよね。

アニメ1話から

好きなことをする努力家は最強なんですよ

という名言も残していますね。



さて、佐伯祐三先生はどんな方なんでしょうか。


以下はwikipediaからの引用です。

佐伯は1898年(明治31年)、大阪府西成郡中津村(現大阪市北区中津二丁目)にある光徳寺の男4人女3人の兄弟の次男として生まれた。1917年(大正6年)東京の小石川(現・文京区)にあった川端画学校に入り、藤島武二に師事する。旧制北野中学(現・大阪府立北野高等学校)を卒業した後、1918年(大正7年)には吉薗周蔵の斡旋で東京美術学校(現・東京藝術大学)西洋画科に入学し、引き続き藤島武二に師事、1923年(大正12年)に同校を卒業した[1]。東京美術学校では、卒業に際し自画像を描いて母校に寄付することがならわしになっており、佐伯の自画像も現存している。鋭い眼光が印象的なこの自画像は、作風の面では印象派風の穏やかなもので、後のパリ滞在中の佐伯の作風とはかなり異なっている。なお、在学中に結婚した佐伯の妻・佐伯米子(旧姓・池田)も絵を描き、二科展などにも入選していた。



東京美術学校(今の東京藝術大学)を卒業しているんですね。パリに移住して、30歳という若さで亡くなっています。

話の大筋とは関係ないんですけど、東京美術学校では自画像を描いて母校に寄付するんですね。

今も続いてるんですかね?




なんか有名な作品ないかな、見たことある作品ないかなって探したら1つだけありました。

佐伯祐三「郵便配達夫」

です。これ、歴史の教科書で見たことある気がする。




あ、著作権の関係でのせることができません。ご自身で調べてください。もしくはこちら

嘘です。載せられました。

こちらは八光堂さんの全文引用です。

佐伯祐三は昭和初期に活躍した大阪市出身の洋画家です。 現代の東京芸術大学の前身である東京美術学校を卒業した後、単身パリに渡り、代表作のほとんどをパリで制作します。 佐伯祐三の作風は「内面の告白」に集約され、鋭い感受性で自己の内面を徹底的に描いたその作品は観る者を圧倒します。 『ガス灯と広告』、『郵便配達夫』、『ロシアの少女』、『モランの寺』などの代表作は晩年のゴッホやユトリロを思わせる激しいタッチで描かれており、決して他人を追従しない徹底した自己批評の精神が窺えるでしょう。

佐伯祐三の芸術観を大きく変えた出来事しかし、東京美術学校時代の佐伯祐三はどちらかと言えば穏やかな筆致の作風でした。 その作風、芸術観が決定的に変わったのは渡仏直後のことで、巨匠ヴラマンクを訪ねた佐伯は大きなショックを受けます。 佐伯が持参した作品の『裸婦』を見たヴラマンクは火がついたように怒り、「このアカデミズムめ!」「絵画から生命感を感じない!」「他人の真似をするなら絵など描くな!」と罵詈雑言を浴びせかけます。 ヴラマンクは独学で絵画を学んでおり、赤や青などの原色を荒々しく使うフォーヴィスム(野獣派)の大家でもありました。 また、それと同時に、絵画を通じて常に自分との戦いを繰り広げたゴッホをヴラマンクは心の底から尊敬していました。 一方、佐伯は洋画家にとって憧れの地であるパリに足を踏み入れた、いわば地方の「お上りさん」で、個性を何よりも尊重するヴラマンクにとってはそれが我慢ならなかったのでしょう。 初めは画家の本場パリの街を浮き立つ足取りで闊歩する佐伯でしたが、その出来事で大きなショックを受けた佐伯は作風を劇的に変化させます。 代表作の一つである『立てる自画像』では、自画像の顔の部分が佐伯自身の手によって無残にもナイフで削り取られています。 その頃の佐伯の痛ましいまでのショックと、自分自身の内面を告白し、新しい芸術を創るという決意がありありと見て取れます。 その後も佐伯は自己批評と革新の色が見られる作品を多く制作しますが、持病の結核が悪化し、わずか30歳でパリの地で夭折します。 佐伯祐三の死後80年以上経った今日でも、その人気は全く衰えません。 佐伯の作品が私たちを惹きつけて止まないのは作品の完成度の高さだけでなく、何度も自己超克を繰り返し、常に自分自身を向き合い続けた佐伯の人間性に共感できるからでもあるでしょう。


ざっくりまとめると、

自分の内面を見つめ絵を描く人

ゴッホみたいな激しいタッチ

でも最初から激しいタッチだったわけじゃない

憧れの人からパクリと言われ、自分を見つめなおした結果、激しいタッチになった

って感じですね。

確かに郵便配達夫も丁寧な絵というよりかは荒っぽさのある絵です。

っていうか郵便配達夫をどこで見たのか思い出せない。




この郵便配達夫でTayが気になったのは、配達夫の周りのオーラみたいなやつです。

なんか配達夫に目がいくな

って思ってたら配達夫のオーラを発見しました。


こんな絵の描き方もあるのか。

なんでオーラを描いたんでしょう。便宜上、オーラと呼んでいます。

光のあたり的にそれを描くのが正解だったのかもしれません。

後ろの文字もちょっとだけ歪んでいますよね。

これがデフォルメっていうやつなんですかね?(デフォルメは形をゆがませたり、変えたりすること)

これにも意味があったりするのかもしれないですね。

まとめ

あれ、今回の目的なんだっけ。

佐伯先生のモデル?佐伯祐三先生について調べてみた。

でした。

結論。ほぼ関係ない。

佐伯祐三先生が面白い作家だと分かっただけですね。
もしかするとこれから、つながってくるかもしれないので ほぼ関係ない ということにさせていただきました。

いやー、Twitterは信じられませんね。

まぁ、信じていませんでしたが、なんか面白い話になるかもなぁって思いながら書いてました。


にしても郵便配達夫の絵は面白かったですね。

これを所蔵した美術館が来年できるらしいので少し気になりました。

今回はこんなところにさせていただきます。

ブログをご覧いただきありがとうございました。






(追記)

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ブルーピリオド

Posted by Tay